Jealous, Don't you know

アイドルとアマゾンプライムに生かされている人

自己紹介

派遣OL兼2.5次元とアイドルのATMをやっています。
音楽と映画が好きですが詳しくもなければそんなに多く見聞きしているわけでもありません。

何者にもなれないどころか当たり前のことができない自分に嫌気がさし、毎日死にたいと思って生きていたら2017年10月、ADHDと診断されました。

だいたいツイッターにいます。@mementomo_ri
2.5次元の話は上記のアカウントやこのブログではあまりしません。

 

senobi寄稿
http://senobimag.tumblr.com

音楽文掲載
http://ongakubun.com/archives/1201


2017.8.11.

2017.8.31.更新

2017.12.31.更新

BiSは、プー・ルイは、私にとって希望でした

BiSのプー・ルイ卒業公演へ行ってきました。

正直私は、昨年秋頃から体調のこともあり精力的に活動するBiSと研究員たちに着いていくことができずBiSの活動を追うことはしていなかった。

そんな矢先にBiSの創設メンバーであるプー・ルイが卒業を決めた。


卒業を決めたと聞いたときも、そのときはBiSから心が離れつつあったため「そっか」くらいの気持ちであったし、寂しい、やめないで、って心の底から思ったのはライブを見た後だった。


私はプー・ルイと同い年なこともあり、ひたむきにBiSと向き合う彼女の姿勢に頑張ってほしいと他のメンバーよりも強く思っていたし、自分の希望や夢を託していた。

そんなプー・ルイが「BiSが私を必要としなくなっていた」「頑張れなくなった」と言っていてやはりアイドルといえど私と同じそこらにいる27歳女性と変わらないのだなと思った。


27歳といえば社会においてはもう新人扱いもされず、成功している人とそうじゃない人、なんとなく生きる程度に稼げている人、そもそも社会人をお休みして子供を授かっている人もいる。そんな年齢だ。

プー・ルイの、BiSから必要とされなくなった、という言葉の意味とは変わってくるだろうが社会に私なんて必要とされていないと感じることなんて仕事をしていると毎日のように痛感させられる。


プー・ルイは最後のMCで「世界は変えられなかったけど、」と言った。私は「絶対に世界を変えようね」と言っているプー・ルイが希望だった。そんな彼女が変えられなかった、と涙をこらえながら言っているのがとても、寂しかったし悲しかった。


アイドルは、オタクにとって生きる希望だ。


3/3放送の関ジャニクロニクルで、ライブでファンの子が段ボールにマジックで書いた「生きてていいの?」というメッセージを見つけた村上くんが「いいよいいよ」と言ったらその女の子が泣き崩れてしまった、という話をしていた。そのときのゲストだったたかの友梨が、「ひとりの人を救ったのね」と。


プー・ルイの作ったBiSというグループに生かされたオタクもきっと多く、いるだろう。

BiSに生かされたというほど私はBiSを追えているわけではないし、研究員と名乗るには恐れ多いと思っているけれど少なくとも前職で悩んでいた時に救ってくれたもののひとつにBiSの音楽があった。


プー・ルイ、BiSを作ってくれてありがとう。世界を変えるのは、難しいね。


CHANGE the WORLD

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ADHDの治療をしていくうちにブログを書きたいという気持ちがなくなってきた、と以前書いたんだけれどもその気持ちは相変わらず変わらないままである。

ADHDの治療をすると部屋を片付けられるようになった、とよく聞くが(ADHDのよく見られる症状に部屋が片付けられない・部屋の片付け方がわからないというのがある)わたしの場合ブログを書くことが承認要求を満たすものであったと同時に頭を整理するために必要なツールだったのだと、思っている。
しかし投薬治療を行い頭の整理をしなくても済むようになり、結果的に諦めのようなものが身につき承認要求も減ったように思う。
部屋は相変わらず散らかったままだが、以前よりはだいぶマシになり片付ける頻度は多くなった。今年は水回りだけだが大掃除もすることができたので、わたしの中では大きな進歩だった。

わたしには当たり前のこともできないし、文章を書くことでしか自分を見出せないと思っていたのだが当たり前のことができないことに対しても諦めがつき、もう自分を見出すとか見出さないとかで文章書くのもあほらしいなという気持ちになっている。

あとは新しい仕事をメインの仕事とは別にはじめたこともあり忙しすぎてそんな気持ちを抱く前に疲れて寝たいという感情に支配されていることの方が大半である。

そんな、2017年の終わりでした。
みなさまよいお年を。

2017年よく聞いた音楽とか

ブログを書きたい、読んでもらいたい、という欲求がめっきりなくなってしまったけれど一応年末なので今年のベストトラック10とから決められないけれど今年よく聞いてたものを自分用の記録がてら挙げておこうと思った。
女性アイドルにハマって約2年、本命の清竜人25が解散してしまってからは他現場にも顔を出すようになったりチェキを撮るようになったのも今年だった。
女性アイドルからの流れで今年は女性ボーカルもよく聞いていたな。

……アルバムごとで挙げようかと思ったけれど、好きになったら古いものも遡って聞くことも多いからアルバム単位ではなく人単位で。

BiS
Maison book girl
アイドルネッサンス
ヤなことそっとミュート
さユり
刀剣男士(ミュージカル刀剣乱舞
吉澤嘉代子
フレンズ
ONIGAWARA
never young beach

よく聞いていたのは、このへん。
相変わらずApple Music頼りなので、久々にJanne Da Arcとかも聞いてた。

そして、今年はアイドルばかり見ていてバンドのライブに行ったのがラルクストレイテナーだけだった。
あと、11月末にV6に急激にハマり円盤を買ってしまった始末。20周年コンサートの円盤が最高すぎるし、今年出たアルバムも提供陣がとても豪華で驚いた。男女問わずアイドルに始まりアイドルに終わった2017年。
とはいえライブ納めはHYDEの黑ミサ、しかもkenちゃんがゲストなので原点回帰して終わる感じはある。
久しぶりにカウントダウンライブへ行かない年末年始なので、実家でのんびりジャニーズカウントダウンでも見ながら年を越そうと思う。

ADHDの治療、そして変化

ADHDの治療をし始めて1ヶ月が経った。具体的にいえばストラテラと呼ばれる専用薬での治療のだが、はじめの1週間はひたすら眠くて仕方がなかった。
2週間目以降は薬が倍に増えたが当たり前のこと(主に仕事から帰ってきたあとの家事)ができることに喜びを感じた。しかしその反動か休みの日は寝てばかりいる。
しかし今までのように、投薬をしても布団から起き上がることができず仕事を休んでしまう日も相変わらずあった。ここまでくるとこればかりはどうやら、どうしようもないのかなと思っている。もしくは新たな副業を始めた疲れやヘルニアになりながらも普通の生活を送っていた反動と疲れなのかもしれない。
そして1ヶ月が経った今、承認欲求が消えたことに気づいた。

私が文章を書くきっかけの根本にあったものは誰かに認められたい気持ちが強かったからだと自己分析しているんだけれど、前よりも文章を書きたいという気持ちが薄れてしまった。前回のヘルニアになった、の記事も「あぁ最近書いてないから書かなくては」と使命感に駆られたものだった。
今は書きたいことが、特にない。自分のことだけでなく、音楽や映画や、自分の好きな物事に関しても。

そんなことを言いつつ書いているんだけれど、ADHDの治療を始めるとブログに書いた手前これは大きな変化だなと思ったので書いておこうかなと思った。
ブログを書くときは大体真っ暗な部屋の中で音楽も聞かず書くことが多いのだが今は最近今更ながらハマったV6の動画を横目に見ながら書いているので今までとはやはりブログや文章へ向ける気持ちが変わってきている。

とはいえ文章を書くことは嫌いではないので、また書きたいと思ったら気まぐれに書いていこうと思う。

ヘルニア(なりかけ)になった

先月の半ば腰痛で仕事にならず少し動くだけで激痛が走り、仕事を早退し整形外科を受診したらヘルニアになりかけていると言われた。
骨が神経を圧迫しているらしい。

約1ヶ月経ちだいぶよくなったが低気圧のときや長時間同じ体勢をしているとやはり痛むし、今でも立ったまま靴下を履くのはつらい。
今は週一のリハビリと、病院で教えてもらった体操で治療をしている。

ヘルニアになる少し前、娯楽に使うお金を節制しなくちゃいけないなとツイッターで呟いた。
ヘルニアになったおかげでここ1ヶ月行きたかったライブやイベントは見送り、痛みがひどかったときは飲み会も控えたので節制することができた。嬉しくないけど。
節制したつもりでもここ1ヶ月で化粧品を大量に買ったりアマゾンのタブレットを買ったりして結局出費するものが変わっただけだけれど、ライブに行くよりは使っていないはずだ。それに日々使えるものだし、と言い訳している。

そして身体的な痛みという刺激があると、精神面よりもまず腰痛が辛いという気持ちのほうが先にくるからなのな前のような死にたい死にたい死にたい死にたい……という希死念慮に囚われることがかなり減った。

実は先月末、大本命の会社からお祈りをされたのだが腰痛だったこともあり学生時代一社落ちると一ヶ月は立ち直れなかった奴とは同一人物とは思えないくらいケロっとしている。

ヘルニアになってメンタルが安定するとは思わなかった。もっと心身ともに健康になりたい。

腑に落ちる

今日、うつ病(多分、病名は何も言われていないけれどストレス由来と思われる不調)で通院している精神科に行ってきたんだけれど受付時間ギリギリに行ったせいか最後の患者だったようで、いつも混んでいる病院だから早々に追い返されるんだけど今日は意を決して前々から気になっていた自身の性格や日常生活における困難なことなどを打ち明けたらあっさりと「ADHDの可能性高いですね」と言われた。
投薬はテストの結果を見て決めるからと言われたけれど、渡されたテストを自宅に帰ってから行い結果をネットで先に見ると同じように「ADHDの可能性が高い」と出てきた。
前々からそうなのでは?と思っていたがうつ由来でも同じような状態になることがあるらしく安易に決めつけるのはよくないと思っていたが、専門家に言われたらやはりそうなのだろう。

ADHDかもしれないと思うようになったのは『片付けられない女たち』が話題になったときからだった。私も昔から片付けが苦手だった。苦手、というよりどうやっていいかわからないのだ。
実家で部屋が汚すぎて注意されたとき、「小学生のころお道具箱の整理ができないって通信簿に書かれてたけど本当に片付けが苦手なんだね」と親に言われたのが今でも引っかかっていた。
うつ由来でも同じような状態にはなるらしいが、ADHDの特徴は幼少期からそのような症状があるらしい。まんまじゃん。

とはいえ、そうかもなと思っていたもののいざ診断を受けるとこれからどうやって生きていけばいいのだろうと不安になる。
うつなら環境が改善されれば治るが発達障害は治らない。一生付き合ってはいかなくてはいけないが側から見たら「ちょっとだらしない奴」くらいの、要するに単なるダメ人間には見えるが一見すると「普通」に思われてしまうのである。
普通に見られたいが、普通にはなれないし期待に応えられないことは今までにもあったしこれからもあるだろう。
そもそも、わたしが通院するきっかけになったのは低すぎる自己肯定感……みんな当たり前にできることができないというのが根底にあるのだが思えばADHDの二次障害だったのでは、と思う。

親にはなんて説明しよう?そもそも離れて暮らしてるから言わないほうがいいのかな?など、不安なことはたくさんあるのだがフルタイムで働くとたいした仕事をしていなても日常生活を送るのが困難なほど疲れ切ってしまう理由がわかったのはよかった。(ADHDはストレス耐性が低いらしい)

どうしようなんて言っていても毎日毎日日常は続いていくし仕事も家事もしなければ生きていくことはできない。投薬によって劇的に症状が改善される人もいるらしいので、きちんと自分の障害と向き合って少しでも生きやすくなれればいいなと思った。